甲津原の歴史を知る

奥伊吹ふるさと伝承館

この建物は江戸初期に建てられ、麻織物を保存しています

「奥伊吹ふるさと伝承館」は江戸時代初期に建てられた民家といわれています。
萱葺き屋根の密集した甲津原は、江戸時代後期三十数年間に四回の大火がありましたが、当家は災火を免れた貴重な農家住居です。
甲津原区において、失われつつある本集落特有の歴史や民族文化を後世に伝えるべく、伝承館として運営しています。
昔作られていた麻織物などを展示して保存しています。

奥伊吹ふるさと伝承館
名称 奥伊吹ふるさと伝承館
開館日・時間 不定期
所在地 〒521-0301滋賀県米原市甲津原897
連絡先 携帯電話:080-1447-0277(山﨑)
  • 奥伊吹ふるさと伝承館内観
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  • 奥伊吹ふるさと伝承館内観
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甲津原略式年表

西暦年号 できごと・うごき
約4000年前 縄文人住みつく(北野遺跡)
1159 平治元 平治の乱に敗れた源義朝(頼朝の誤伝か?)甲津原へ逃れ来たるとの伝承あり
平安末~鎌倉 平家の落人来たりて住みつくとの伝承あり
室町初期 南朝の落人来たりて住みつくとの伝承あり
室町時代 観世流の落人、能面・楽器・能衣装等を持参し、この地に住みつくとの伝承あり
1505 永正2 行徳寺開基(天台宗により転宗)
1582 天正10 本能寺の変に際し、豊臣秀吉の母・妻ら逃れ来たる
1591 天正19 東草野地区の他字とともに検地を免除される
1600 慶長5 石田三成勢に追われた本願寺の教如逃れ来たる
1619 元和5 小堀氏の知行地となる(石高:254石7斗9升)
1788 天明8 小堀氏改易により天領となる(大津代官所支配)
1802 亨和2 83軒全焼
1820 文政3 甲津原出身の船川諫鼓堂、江戸にて「戯場百人一首」刊行
文政年間 蜀山人(太田南畝)、弟子諫鼓堂を伴い来たるとの伝承あり
1835 天保2 95軒全焼 この年10月より翌年4月までに病死・飢死者263名
1842 天保13 102軒全焼
1860 万延6 96軒全焼
1873 明治6 行徳寺にて児童19名で公教育開始
1879 明治12 現行徳寺本堂上棟
1908 明治41 春日神社を天満神社に合祀(秋葉神社招致)
天満神社本殿屋根檜皮ぶきに改修
1921 大正10 発電所開設
1935 昭和10 天満神社面堂改築
1938 昭和13 宇治川電気による送電開始、ラジオ導入
1944 昭和19 疎開の受け入れ始まる(10数戸、約50人)
1948 昭和23 県道拡幅工事完成、自動車通行可
1959 昭和34 伊勢湾台風による被害、床上浸水2戸・橋流失多数
1960 昭和35 椎茸組合結成、椎茸栽培始まる
1967 昭和42 「甲津原顕教踊」滋賀県選択無形民俗文化財に指定
1970 昭和45 「奥伊吹スキー場」開設、民宿経営始まる
1985 昭和60 ミョウガ生産組合結成、特産品として出荷開始
1986 昭和61 ミョウガ加工部結成、漬物加工販売
1997 平成9 甲津原交流センター竣工
2002 平成14 「奥伊吹ふるさと伝承館」開館
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