レポート③ 山からいただく命/峰越の交流

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たまちゃんの「よもぎパン」レポート③

ウサギは素手で獲る

高:今はスーパーでなんでも買えるけど、昔は魚といえば川から釣ってくるんやし、肉といえば山から獲ってくる。
ウサギとシシを食べてたんや。
雪のとき、「バイウチ」といって、木のバイ(太鼓をたたくバチのような棒)を5〜10本こしらえて、山に持って行く。
ウサギが木の根元に寝とるのを見つけると、裏にまわって雪山の上から近づきながら、バイを回転させながら続けて投げるんや。
そしたら、ヒューンという鷹の羽音とそっくりな音がする。
ウサギは鷹が来たと勘違いして、さー!っと木の根元にある穴に入るから、穴を塞いで手で引きずり出す。
うさぎは鷹にやられるんや。
それで、ナタ一丁持って行くだけでよかった。

ウサギを獲りに行くときに使う「木のバイ」のサイズ

鈴:今でもたまに野ウサギを見かけます。

高:甲津原には猟師の家が5~6軒あったから、猟師のところへ持って行って、頼んで皮をむいて、さばいてもらった。
骨かぶりといって、大根と炊いて、冬の貴重なタンパク源やから、骨についた身を子どもたちもかじる。
猟師がクマやシシを獲ったら、みんな鉢を持って行って、お金を出して肉を切ってもらった。

冬眠中のクマを獲る

高:クマが獲れたときは、それを引きに行くんです。
そうすると、その駄賃にお肉をもらえた

鈴:山からおろしてくるのを手伝いに?

高:そうです。
クマはクマ穴といって、穴のなかで冬眠しているから、猟師は寝ているところを獲りに行く。
必ず犬を連れて行くんです。
まず、犬が穴に入ると、クマが犬を追って出て来るから、そのときにまともに頭を銃で撃たんとあかん。
下手すると自分がやられてしまう、そのタイミングがむずかしい。

お味噌で炊くのが一番

熊:ウサギを食べたことがないんですけど…

鈴:わたしも…

高:ウサギの肉は脂身もようけないし、淡白でおいしいよ、あっさりしている。

鈴:味付けは塩か醤油ですか?

高:クマでもシシでも、たいてい味噌で炊いてた。
とにかく自然のものをとって、昔ながらこうやって食べてきたんです。

熊:お味噌もつくっていましたか?

高:それはもちろん。
田んぼは、水がもれないようにあぜをぬるから、田んぼのまわりにあるあぜには必ず大豆と小豆をぐるりと植えていた。
とにかくすべて、なにもかも自給自足だった。

甲津原名物バイの実は煎って食べると美味しい

季節ごとに豊かな自然のめぐみ

峰越しのお付き合い

高:昔は今みたいな道(国道40号)はなかったし、甲津原は、昔は曲谷(川下の集落)との交流がなかった。(*)
ほとんど峰を越えて、美濃へ行っていた。
嫁にきたり、養子にいったり、婚姻関係でも岐阜とつながっていたし、学校の遠足も歩いて峠を越えて、岐阜に行っていた。

(*)生活道路は岐阜県との峠道だった。生活文化や様式、生活習慣など、岐阜県から伝わっている。
ひとつ下の曲谷までは6kmはなれており、昭和30年代まで狭い谷間の道を徒歩で行き来していた。

鈴:炭焼きをされていた頃は、姉川沿いを下り、七曲峠を越えて、鍛冶屋町(現長浜市)へ炭を売りに行かれていましたよね?(*)
鍛治屋町までは遠かったですか?(現在は車で約25分ほど)

山:遠かったなあ。

高:昔は鍛冶屋町まで行かないとバスが来ない。
醤油も酒も買えなんだから、炭を売りに行って、醤油や酒を買って帰ってきた。

(*)鎌倉時代末期に姉川の渓谷を下り、ひとつ下の村、曲谷や下の集落へ通じる道ができたといわれる。江戸時代後期〜昭和初期まで、曲谷の下の村、甲賀、吉槻から峠を越えて、浅井町の鍛冶屋まで牛に木炭などを背負わせ運び、行き来した。姉川沿いは険しく危険な道であったので、そこをさけて峠(石峠)を越える道もあったかが、どちらも険しい危険な道だった。
甲津原は、近江と美濃をむすぶ地点であり、近江商人も峠道を利用していたからか、天保8年(1837)には、147戸、516人が住んでいたと記録がある。


病院へ行くには峠を越えて1泊2日

山:子どもが風邪をひくと、鍛冶屋町まで歩いて行って、バスに乗って、長浜の病院へ行った。
医者に行くのはその道だけやから、雪が降ると大変やったな。
子を背負って荷物を持って、七曲峠を越えて、浅井まで、山道を歩いて通った。
日帰りはできない、泊めてもらわないと帰れへんから、病院に行ったら一泊すると決まっていた。

鈴:すごい… 想像ができません。
今は道がきれいですが、よく「こんなにきれいな道になったのは最近のこと」と聞きます。

山:そうして生きてきたから、今もこうして元気やけど、足が痛なってきた。

高:今は週に1回、甲津原にお医者さんも来てくれるしな。
(週に一度、医師が来てくださり、甲津原交流センターで診療してくださいます)

鈴:ありがたいですね、そして今は本当に便利ですね…
欲しいものがあるとなんでもインターネットで購入できて、次の日には届きます。
下に降りるには車で20分、スーパーでほとんどそろいます。
引っ越してきて、不便さをそれほど感じていません。

山:昔はどこへでも歩いて行って、本当に大変やったな。

鈴:わずか5〜60年前まで長浜へ行くのに1泊2日かかっていたなんて!
それしかなかったとはいえ、みなさん本当にたくましいです!

熊・鈴:今日は貴重なお話をたくさんお聞きできました。本当にありがとうございました。


◯ レポート① → 兆しの感知と「よもぎパン」(寺田匡宏 総合地球環境学研究所客員准教授)
◯ レポート② → 先祖代々のあじ  トチ餅
→ 甲津原の歴史
◯ 高橋大吉さんインタビュー → 語りつづる甲津原史

コメント

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