お墓をたてない風習
秋晴れの11月3日、甲津原の長老、高橋大吉さんが、集落を訪れた方々に甲津原の紹介をされ、再びお墓のお話を聞くことができました。
以前のインタビューはこちら → ★
高橋さん「ひとつの説に、平家の落人が住み着き、石に名を刻むことを拒んだ。
子孫に証拠をのこしたらあかんということで、お墓をつくらないということが習慣になったとも言われてます。
はか(墓)ない話です。(上手!)」
* 実際には戦死された方のお墓などの特例はありますが、現在もそれ以外にはありません
自然に葬られる
当たり前に感じられてきた、家やお墓を継ぐということは、現代の少子化社会ではますます難しくなってゆくかと思います。
そんななか、「自然葬」や「樹木葬」という言葉を耳にする機会が増えました。
自然に還る、自然に包まれながら、お墓にお金をかけない、子や孫へ負担をかけない、かたちとして残さない、いろんな思いや理由があると思います。
甲津原では、昔から「自然葬」でした。
現代的な「自然葬」という言葉のないとき、昔から集落の火葬場で火葬して、納骨するお骨だけ骨壷におさめておわり。
そもそも、どこにもお墓がありません。
お仏壇を大切に、お墓はたてないという風習が守られてきました。
縄文から、狩猟、採集をしながら人が移動して、暮らしてきた土地。
人と動物と自然が共存し、自然にならう暮らしだったからこそかもしれません。
ここは別天地
高橋さん「ここは別天地、桃源郷です。甲津原の入口からいっぺんに天がひらけます。
小泉(*)から上の8集落のうち、一番日照時間が長くて、とても陽当たりがよいんです。」
たしかに空がひろく、夏は陽が長くて気持ちがよいです。
甲津原は、きっと想像の域を超えている、かなり山深い場所にぽつんとあった集落でした。
冬は雪が深すぎるため、数か月間は外との交流がなく、とざされていました。
けれど、さまざまな文化が盛えて、風習が継がれ、残されています。
いろんなことを知るたびに、力強い「きずな」や「たくましさ」が育まれてきたのだろうと感じます。
大火で古文書が残っていないため、不思議なことも多く、心ひきつけられます。
また紹介してゆきます。(鈴木)
(*)伊吹山の麓にある集落
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