途絶えてしまった顕教踊り
踊りの名前「顕教」は、浄土真宗の顕教上人と教如上人の頭文字を組み合わせ、名づけられたそうです。
由来は、室町時代に石山合戦で信長に破れた本願寺の顕如、教如上人が、甲津原の行徳寺に隠れ、村人がなぐさめるために踊ったのがはじまりと伝えられています。
ながく踊り継がれてきましたが、昭和のはじめ頃、いったん途絶えました。
戦後、昭和23年頃に村内の西川弥助氏が尽力され、村の古老たちの経験をもとに、現在のかたちへ歌と踊りを復元されました。
昭和40年には「顕教踊り保存会」が結成され、他の地域や西本願寺などへも踊りにいかれたそうで、今でもみなさんよく覚えていらっしゃいます。
昭和42年には「滋賀県選択無形民俗文化財」として指定されましたが、8年ほど前(2013年頃)、過疎や人手不足で自然消滅、盆踊りがなくなり、顕教踊りはついに踊られなくなりました。
私が引っ越してきた3年前(2018年)には、見ることのできない踊りになっていて、継続すること、復活することの難しさを感じました。
顕教踊りの特徴
歌と踊り、楽器は太鼓、鉦、拍子木です。
踊り手の女性の衣装は、甲津原で栽培した麻を紡いで織られてつくられた着物、「手なし」です。
昔はお悔やみのときに着用されていました。
顕教踊りを踊るときは、手なしに黄色い帯をむすび、前掛けをつけ、赤いたすきを結び、鈴をつけ、手には手甲、足には足袢をつけ、手ぬぐいを姉さんかぶりにすると完成です。
歌詞や踊りかた、演奏方法、歴史については、冊子『甲津原 顕教おどり』(発行:甲津原顕教踊保存会、編集:米原市教育委員会、2019年6月発行)に詳細が掲載されており、DVDもついています。
この貴重な資料は、甲津原交流センター喫茶麻心で販売しています。
DVDにおさめられている、歌い手の古老おふたりによる謡いが本当に素敵です。
とてもいいお声で、あじわい、迫力があります。
湖北、岐阜県境一体で踊り継がれた
岐阜県揖斐川町の美束地区では、途絶えていた顕教踊りが2年前に復活したそうです。
途絶えていた踊りを教えていただく
夏のある日、顕教踊りが伝わった地域の方たちや、大垣市民謡協会のみなさんが甲津原に来られ、踊りを見てみたい、他の地域の顕教踊りと比べたい、ということになりました。
*画像の記事に経緯が書かれています
後日、あらためて来られることになり、「見たかった顕教踊りをついに見れる!」と思っていたところ、地区の方に「あなたも踊り」と言われ、教えていただくことになりました。
みなさんが踊られる後ろ姿を必死でまねて、そのあとはDVDを見ながら練習しました。
20年ぶりに踊られる方もいましたが、やはり体に記憶されていて、音が流れるとすんなり踊られて、さすがでした!
ご先祖さまからの贈りもの
そして当日、衣装を着付けていただくと、とても色あざやかでわくわくしてきました。
手づくりの藍染の麻の着物は、家族の着物をつくることが暮らしの一部だった、手仕事のおもみを感じます。
そして本番。
DVDから謡を流して、踊り、見ていただきました。
民謡協会のみなさんは、すぐ踊りを覚えられて、輪に入ってくださいました。
昔は農作業や炭焼きに忙しい毎日です。
お盆の法要をおえると、一大イベントの盆踊り、つかの間のお楽しみ、
もっともっと多くの人で大きな輪をつくり踊られたのでしょう。
室町時代からはじまり、踊り継がれてきた甲津原のひとつの文化、ご先祖さまからの贈りものですね。
私は、久しぶりに盆踊りのような、どこかなつかしい気持ちになれて楽しかったです。
幼い頃の夏休みといえば、浴衣を着て、友人とお宮さんや学校のグラウンド、いくつかの盆踊りへ出かけていた、そんな記憶がよみがえりました。
今、甲津原では夏祭りもなく、盆踊りは一度もあじわったことない子どもたち。
子どもたちと盆踊りができたら楽しいだろうなあと思いました。
一緒に踊ってくださった地区のみなさんに感謝しています。
コメント
色合いがかわいくて、素敵な衣装ですね。
子どもの頃の思い出がなくなっていくのは寂しいものです。
大切に、工夫して残していきたいですね。